東日本大震災から10年が経ち、一つの節目を迎え、記憶を風化させない目的もあってか、報道機関でも東日本大震災に関連した特集が組まれています。
私は日本全国47都道府県を自走しました。そして、いま、日本二週目に突入しています。その日本二週目も、今年の年始のお正月調査の旅により、西日本25都府県を踏破し、後半戦に差し掛かっています。
そんな、旅人としての側面もある、私ことミスターお正月です。私も、東北を巡った時に色々思わされたことがありました。
このタイミングですので、私も記憶の風化を防ぐため、東北を巡った時に見た東日本大震災の爪痕を、私なりの視点で書き連ねておこうと思います。
女川町のシカ~東日本大震災から10年~
以前、東北を巡る旅をして、女川町に向かう途中の話です。
町ごと消え去った女川町に、夜に向かおうとする車なんて僕の他には見当たらなくて、岬と山道が入り組んだ海沿いを走ってました。
すると、シカが、道路脇にいるのをみつけました。そのシカは、僕の車を見ても、驚きもせず、逃げようともしませんでした。シカが大好きな僕は、他に車もないし、夜道に車を停めてシカちゃんと遊ぼうと思って近づいていったのです。そしたらさすがに逃げていってしまいました。
そのシカと別れたあと、またしばらくすると、また別のシカがいました。今度は親子連れです。「さっき遊んだし、どうせ逃げるしもういいや」と思い、ほっといてまたしばらく走りました。
するとまた別のシカがいました。今度は一匹や二匹ではありません。「群れ」が、道路脇で休んで、僕の車が通るのを眺めていました。
「これは一体どういうことだ?」
異様な光景でした。
日本全国、どこの山道でも、こんな異様な頻度で、頻繁にシカは見かけません。ましてや、道路のすぐ隣でシカが座って休んでいる、なんてことはありません。
基本的にシカという生き物は、人間や車を恐れて山の中で息を潜めているものなのです。
これはどういうことを意味するのでしょうか?
もちろん、「それほど車の往来が少なく、シカが人間や文明を恐れることなく都合のいい場所に住んでいる」ということを意味しているのでしょう。それはよくわかります。
しかし、私には、その光景が、もっと別の光景に見えました。
「誰かを待つように、道路脇で、行き交う車を眺めるシカ」
私には、それがまるで、「女川町の人々」のように見えたのです。シカたちが、まるで誰かの帰りを待っている、女川町の人々のように見えたのです。
そして、ハッと気付かされました。
輪廻転生というものがあるのだとして。
「人間に生まれ変わろうとしても、そこから人が生まれることがない場合、人々の魂は、一体どこに行くのだろうか?」と。
町ごと消え去った女川町。もう誰もいないから、人一人生まれることがない場所になってしまった女川町。
女川町の人々の魂は、近くの山々のシカとなって、今もまだ、見失った誰かを待っているのかもしれません。
そんなことを思わされ、引き裂かれるような想いに駆り立てられました。
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