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伝統とはなにか?温故知新を考える

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伝統とは、何でしょうか?
日本の伝統文化お正月を語り伝えようとする者として、私はいつも、このテーマを苦慮しています。
今日は、伝統というものの考えについて、ちょっと書かせていただきます。

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温故知新~歴史と伝統と未来~

伝統とは何か?

Wikipediaによれば、伝統とは、

伝統(でんとう)は、信仰、風習、制度、思想、学問、芸術などの様々な分野において、古くからのしきたり・様式・傾向、血筋、などの有形無形の系統を受け伝えることをいう。

だそうです。

私なりの解釈を交えながら「伝統」というものは何かについてお話しすると、今、私たちが「伝統」と呼んでいるものは、我々の先祖が代々、その時代その時代の解釈で積み上げ、語り伝えてきた行動の結果です。

言い換えると、「今、我々がとった行動の積み重ね」が、「未来の伝統」になっていくのです。

歴史と伝統の違い

似た言葉に、「歴史」という言葉があります。
Wikipediaによれば、歴史とは、

歴史(れきし、羅: historia)は、何かしらの事物が時間的に変遷したありさま、あるいはそれに関する文書や記録のことをいう。主に国家や文明など人間の社会を対象とする。

とあります。

歴史と伝統って、何が違うんでしょうか?

これはあくまで私なりの考えですが、
「起きた出来事」が「歴史」であり、「語り伝えようとして遺した事」が「伝統」なのではないかと思います。

言い換えますと、
人の意思によって、残すべきものとして、選ばれて伝わってきたことが「伝統」、
人の意思とは無関係に起きた出来事を、そのまま伝えてきたものが「歴史」、
そのような違いがあるのではないかと考えています。

日本の伝統の多くは外国産

日本の多くの伝統文化は、古代中国から伝わってきた文化に、日本独自のアレンジやリファインが加えられ、今に伝わってきたものです。

つまり「外国産」の伝統なんですね。

バレンタインやハロウィン、クリスマスを批判的に考える方も世の中には少なくないでしょう。
しかし、「日本の伝統文化」が本来は「中国由来の外国産文化」であることを考えてみると、
ハロウィンのような西洋伝来の文化と、
お正月のような東洋由来の伝統文化の境界線は、あってないようなものに思えてなりません。

こうして考えてみると、「日本らしさ」とは、一体どこにあるのか?という問題に行き着きます。

日本のルーツが古代中国にあるのだとして、そこから分化し、ガラパゴス進化を遂げてきた「日本らしさ」とは、一体どこにあるのか?

「日本のアイデンティティ」は一体どこにあるのか?

その認識なくして伝統は語れません。
「アイデンティティ」とは、自己同一性、「その者がその者である証」、個性のようなものです。

その認識なくして、伝統は語れないと思うのです。

多様性に対する柔軟性が日本?本当に?

よく言われるのは、「多様な文化を受け入れる日本の柔軟性」こそが「日本らしさ」なのではないか?という話です。

正月や陰陽道を中国や朝鮮から輸入し、ハロウィン、クリスマス、バレンタイン等を西洋文化から輸入し、受け入れた。この柔軟性こそが、日本だ、と。

確かにそれも一理あるでしょうだと思います。

例えば、言語的側面を省みても、日本語は、漢字、カタカナ、ひらがな、アルファベットなど、多様な文字様式を一つの文章に含められる言語体系として、世界的に見ても稀な存在だそうです。

近年では、顔文字、絵文字、ラインスタンプなど、新たな文字様式・文字装飾の発展も目覚ましいですね。

そのことからも日本人の柔軟性は伺えますが、私が突き詰めて考えたいのは、
「日本人はなぜ柔軟か?」
「柔軟であることによってもたらされた効果とは?」
その、更なる奥深い考察にこそ、日本人のアイデンティティの核が潜んでるように思えるのです。

言い換えますと、日本人が多様性に対し柔軟であるのは「結果」であり、
その結果をもたらした「原因」は何かを考えないと、
「日本らしさ」というものは見えてこないのではないかと考えるのです。

何を伝統として残すか?

伝統を考えるということは、これから我々が、未来の日本や世界に、何を遺すべきかを考えるということです。
あるべき将来像、そのビジョンから逆算して「今やるべきこと」を考えるべきなのです。

今やるべきことを考える上で「日本はどこにあるのか」という心の中の地図を振り返ることは、
とても大切なことだと私は考えています。

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