【ブログ】この人物が難解な理由

【ブログ】この人物が難解な理由

必要があると感じたため、僕という人物について書きます。

人の何倍もの速度で成長し続ける人物

「あなたは人の何倍もの速度で成長し続ける人」

私を占った時、手相占いでも、星座占い(生まれた日占い)でも、同様の結果が出ることがあります。

「二重感情線は、『二重人格』と読み取られることがありますが、
そうではなく『二倍の感受性』を示します。」

「二重感情線を持つあなたは、人よりも感受性が強く、
一つの経験から得られる経験値・情報量が他人に比べて何倍もあるので
進歩の速度が何倍も速い。
それは生涯に渡って続く。」

「人よりも多感で、五感も鋭い。
味覚、聴覚、視覚、触覚、嗅覚、全てが鋭い。

「感受性が強く、傷つきやすい側面もあります。
そのため、苦痛を感じやすかったりもしますが、
それを乗り越えようとする力も人の何倍もあるので、
成長が早いのです。」

「確かに」と思うことはたくさんあります。

例えば、5歳児の成長の様子を見ている親御さんは、
「子供の成長は早いわねぇ」
なんて言ってらっしゃったりしますよね。

僕も人をよく観察しているので、人の変化も良く見ています。
ですから、子供の成長が大人よりも早いということはよくわかります。

しかし、僕に比べれば、時が止まっているかのような速度だと私は感じます。

成長速度が招く誤解と不理解、同じ歩幅で歩く困難さ

それほどの驚異的成長速度で進歩し続ける人間ですから、

「お正月さんて、確かこういう人だったよね?」

と言われて、すごく困ることがあるんです。

なぜならそれはもう、私の過去の残像だから。

参考:キルアの暗歩

私はもう、そこにはいないんです。

他人が私を追いかけたり、追いつこうとどんなに努力しても、
それは非常に困難なことです。

なぜなら、私は努力で進歩しているのではなく、
「進歩し続ける星の下に生まれたから」こそ進歩し続けているのであり、
その歩幅に合わせて歩こうとすることは極めて困難です。

私が結婚できない・しない理由の大きな位置を占めている

とりわけ、共感や協調を重んじる日本人の中にあって、
「他人と同じ歩幅で過ごせない」ということには
大きなデメリットがあります。

「あなたって、そういう人なのね。」

ある人物が、私に理解を示し、共感を示そうとした瞬間、
既に私は成長を遂げていており、「そういう人」は存在しません。

「この人ってこういう人」

過去の共有体験の蓄積で形作られる人物像に対し
人は愛情・友情・理解・共感・協調などの感情移入をしたりします。

しかし、そのような感情移入をしようとした瞬間、
私はさらに成長を遂げていて、そこにはいなかったりします。

「追いかけようとどれほど努力をしても決して追いつけない人」

「私が理解を示した瞬間、そこにこの人はもういない」

「私がこの人の足を引っ張るようなことをしてはならない。
この人はとても尊い人……、遠い人。」

私は異性に対して、そのような孤独感を突きつける人物だというのが、
この年齢までに明らかになってきました。

これが、30代後半に差し掛かる年齢にあっても未だに結婚しない・できない最大の理由です。
私が私である以上やむを得ない理由です。

言い換えますと、
「成長速度が早すぎると、同じ歩幅で歩けず、
安心感がないので、結婚対象として見にくい」
ということになります。

精神年齢は70代を超えている

私の数年前の感覚ですが、他人様と話をしていて、
「この人にはまだまだかなわないなぁ」と感じていた方々の年齢層、
それが「70代」でした。

「数年前」に「70代にはかなわない」と感じていたのですから、
数年前の精神年齢が60代後半だったのだと思います。

今はもう、それ以上になっているのだと思います。

これからも変わらず意味不明

占いによれば、私はこれからも変わらぬ速度で進歩し続けることが示唆されています。

「この人が何を考えているかよくわからない。
どこに向かっているの?何をしようとしているの?」

そのような疑問をお持ちの方も少なくないと思いますので、
書かせていただきました。

この人物はなぜよくわからないのか?
それは「意味が理解できた瞬間にはもう成長してしまっているから。」
こうした理由についてはご理解いただけたのではないかと思います。

これからも、死ぬまで変わらず私は「意味不明」と思われ続けていくでしょう。

変わり続けていくことだけが変わらない。
人も、時代も、世も、私も。

補足

この記事の書き方だと、「占いは正しいか正しくないか」という論争の火種になりそうなので注釈しておきます。

私が根拠としているのは「占い」ではなく
「複数の専門家による異なる調査手段・調査方法を以てしても同じ結論が得られた」ということを焦点として「根拠」としています。

その調査方法が「占い」であろうとなかろうと、
「複数の専門家による異なる調査方法・調査手段」で「同じ結論」が得られたのなら
「それは恐らく正しいであろう」という「結論の導き方」は、
「占い」ではなく「科学」であろうと私は考えます。

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